新生活スタート

もえです。

産まれてからというものの、まず入院としては5日間あったため、

初日は産後ハイになっており全く眠れない日からスタートしました。

産院の方針としてまずはママの休息第一であったため、

預けたいときに子どもを預けることができたことは凄く助かりました。

寝不足で子どもを夜中も見ることはかなり負担だったなと、次に産院を選ぶ機会があったらそこも優先事項の一つになるほど。

産後についてもYouTube等で情報収集していましたが、産後の夜からずっと子どもと一緒、というところもあるみたいですね。

起床・就寝時間からどの授乳タイミングまで授乳対応できるか聞かれ、自分の睡眠を確保してもらえました。

確か20時が最後で朝は7時からで、ご飯の時間はちゃんと食べることを優先され、配膳後すぐに呼ばれることはありませんでした。

後陣痛も割と痛みを感じていたので、経産婦はもっと痛みを感じると聞いて産んでからも痛みを感じるなんて…と思ってしまいました。

産院では授乳の時間になると、最初に泣き始めた子どものママからナースコールで呼ばれ、

授乳室で子どもを預かり授乳するという流れでした。

1日は夜の泣く様子を見たかったので3日目の夜に母子同室にしました。

授乳については最初は母乳が出ず、2.3ml出たらいい方でした。スケールで測れないぐらい少ないときは0…

看護師さんに授乳した量を他のママさんがいる中で言わなきゃいけないことがちょっと恥ずかしくも、どのママさんが初産婦か経産婦かわからないので、

あまり気にせずと看護師さんにも言われたことを思い出しながら、でもスケールで増えていないときはがっかりしながら。

母乳を頑張って吸うわが子を見ていると頑張ったのに出なくてごめんねという気持ちにもなりました。

退院時には無事に20mlくらいは授乳できるようになり安心して帰宅しました。

ただ退院が近づくにつれ、聞きたいときに聞ける人がいなくなるのかという不安が募り、

最終日の前夜は不安に思っていることを、出産時に立ち会ってくれた担当看護師さんに吐露し、終わりのほうに話題になった、スウェーデンでは子どもをベビーカーに入れて走るらしいよ、

という世間話のほうが今でも記憶に残っています。

メインの話としては、産院では授乳量に不足してる量を看護師さんがミルクの量を決めて作ってくれていたので、

帰宅後のミルクの増やし方の目安や今後何か困ったことがあれば電話していいよと聞いたことで、少しでも不安要素を減らすことができました。

あとはもう何か起きたときに対処するしかない、目の前の我が子に親が最善を尽くし続けるしかないと思いながら。

熟睡はできませんでしたが、ゆっくり静かに眠れるのも今のうち。

そういえば、産後すぐ感じた変化としては、涙が出るスイッチがいつもの何倍も敏感で、

夫が洗濯や家事をして毎日来てくれるだけで感謝の涙、これから大丈夫かなという漠然とした不安の涙。

毎日何度も涙を流していた記憶です。

そんな私の姿を見て、夫の驚きと戸惑いも感じて、困らせてごめんという涙。

結局、帰宅後も産院での授乳時間等常に時間を見ながらの生活から、

夫と二人でご飯をゆっくり好きなものを食べ、子どもの話をしたり関係ないテレビ番組について話をしたりするだけで嬉しくて…

2週間くらい感情の浮き沈みが激しくなりました。

今考えると新生児は本当にあっという間で、夫と睡眠時間の確保のために、

何時に寝てどこでミルク対応を交代することがベストか試行錯誤しました。

私が寝室で一人、21時頃には寝て、真っ暗なリビングでは夫が子どもと過ごし、

24時はミルク、2時頃の授乳タイムで起きて交代していました。

夜中もお腹が満たされれば寝てくれる子であったため、お互いの睡眠は確保できていました。

日中も私はほとんど自分の回復のため横になっていることが多かったですが、

会陰切開の傷も2週間ほどで痛みも消え、普通に歩いたり座ったりできるくらいまでには回復していました。

回復が早かったこともあり、新生児の短い期間もゆっくり子どもを眺め、愛でる時間を楽しむことができました。

生後1か月目の日々をまとめてみました。

あのときの細かった脚は今はなくムチムチボディです。

もえ

ビビりの父ちゃん①(育休中)

久しぶりのけんです。

最近妻のもえ共々ブログがまばらになっていますが、今日は少し時間ができたのでこれまでのことをざっと書いてみようと思います。

6月~7月中旬くらいまで
妻のもえがついに妊娠後期に入ったので、産前休暇前に会社のことを片付けていました。
出産休暇&育児休暇は年明け早々、事前に会社へ話しているのに、新規の仕事を渡されて発狂していました。
どこまでやって引継ぐか、引継ぎ自体も負荷になるのに。。。
出張も多かったですが、後ろ指さされない程度には仕事を片付けることができました。
ここで自分が良かったと思うことは、客先や仕事上の関係者にも育児休暇を包み隠さず話して、理解をしてもらえたことと思います。
男も育児休暇を取りやすい時代になったので、理解もしてもらいやすかったです!

私生活面では、夫婦で食べたいものをひたすらに食べていたかもしれません。笑
もえちゃんが出産⇒入院すると食べたいものも食べれないので行けるところは行ってました。特に7月はエンゲル係数が高かったと思います。

7月下旬~8月上旬
ついに赤ちゃんが産まれました。(予定日より3日遅れ)
産まれる日の前日に、友人が経営するハンバーガー屋さんでハンバーガーを食べていたのですが、
「俺のハンバーガー食べたらすぐ産まれるよ!」って言ってもらったその日の深夜でした。
朝3時頃に妻のもえちゃんに起こされ、
もえ「なんか違和感ある」
これでスパッと目が覚めました。
4時半には産院へ連れていき、経過観察での入院。
僕は一旦家に帰ってとりあえず睡眠。
もえは朝9時ごろに診察を受け、子宮口が少し開いてきているとのこと。
ただ、ここから夕方まで本格陣痛がなければまた家に戻り待機のようでした。
お昼ごろまでラインのやり取りをしていましたが昼2時ごろから本格陣痛が始まりました。
すぐに産院に戻り、様子を見てみると陣痛で苦しんでいました。
もえがしてほしいように腰を全力でぐりぐり…
それを数分おきに繰り返しながら、出産時の苦しさを目の当たりにしていました。
そして昼4時前ごろ分娩室へ。
「ここから長い闘いか…」と思って覚悟を決めていましたが、
4時半ごろに元気な赤ちゃんが産まれてきてくれました。
出産ってすごいですね。たくさんの人が関わって、一人の命を紡ぐ。
もちろん、出産する本人が一番しんどいですが人間の数だけこの営みが行われていることは神秘です。
その日の夜は実家に報告がてらご飯をいただいて、少し興奮しながら寝たと思います。

8月になってすぐに役所申請関係、育児休業の会社手続等をパパッとしてしまいました。
時間が経つとやる気がなくなるのでね。

毎日産院に数時間行って、もえの必需品を持って行ったりミルクやり等赤ちゃんとの触れ合いをしていました。父ちゃん母ちゃんも初孫を見て嬉しそうでした。

思い返すと初期の赤ちゃん抱っこやミルクやりの時、緊張して手汗すごかったです。
1人の時間は新米パパ頑張ろうと思ってYouTube見たりしていました。
今もそうですが初めてのことだらけで新鮮です。
ブログタイトルの通り、「奮闘記」です!

今回日記っぽくなってしまいました。
次回書く際は8月ごろからですが同様に日記っぽくなります。
見ていただけると幸いです。

けん